経験と想像3

ちょっと間が空いてしまったが、実はまだ書きたいことがあったのでもうちょっとお付き合いをお願いたい。
想像は経験に基づいているし、影響も与えているという話の例をいくつか挙げたところで終わっていたと思うが、そう考えて、さまざまな嗜好(志向・思考←音がすべて一緒なのは面白いですね)の人々と議論したり、その人と関わっていくためには、さまざまな経験を積むべきだと思ったのがこの文章を書くきっかけだった。しかし、経験が少なからず想像に影響を与えるのであれば、なんでも経験すればいいということにはならないのではないだろうか。最近身近に感じた例を挙げるならば、ソーシャルゲームの課金。以前、先輩がオンラインゲームで課金しないやつはちゃんとゲームを楽しんでいないと言っていましたが、それも1つの真理を言い表しているだろう。僕自身一度も課金したことがないので、はっきりとしたことは言えないが、ソーシャルゲームは一定程度の課金を前提としてゲームを作っているのだから、確かにちゃんと楽しむにはある程度の課金は必要なものなのかもしれないし、課金すればするほどゲームの進行が簡単になるようなゲームも存在しているらしい。となれば、いったん課金することによってゲームが楽になるということが分かってしまえば、今までのように無駄に時間を使うようなことはなくなるだろう。別に課金するのが悪いと言っているわけでないが、たまたま最近自分もソーシャルゲームをやっているので思いついただけ。ちなみにその先輩は、課金しまくっているのもダメだと言っていた気がする、これぞまさに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。
ほかにも一夜漬けでテストに合格してしまったときや、寝坊したのに学校に間に合ったときなども同様な例だろう。これらは、手を抜いても成功できたという経験が、その後の場合にも、今回ももしかしたら成功するかもしれないという想像を働かせることとなってしまうのだ。
... 続きは今年の振り返りとともに明日書きます。